雛人形とひな祭りの関係

〇季節の節目に邪気をはらう

雛人形の起源は平安時代に遡ります。
昔の日本にはたくさんの節句があり(五節句)、
人々が季節の節目に身の穢れ(けがれ)を払う大切な行事の一つでした。
その中のひとつ、
「上巳の節句」がひな祭りとなったのです。

〇雛祭りと雛人形の関係

ひな祭りというと雛人形ですね、、、
千年以上もの歴史のある雛人形は、日本独自の大切な文化遺産ともいえます。
「源氏物語」に記述のある「ひいなあそび」などからも、
雛人形の歴史を感じます。

〇「上巳の節句」(じょうしのせっく)と桃の節句

雛祭りは桃の節句と呼ばれ、
桃の節句は「五節句」のひとつの「上巳の節句」(じょうしのせっく)のことです。
古代中国の風習と日本独自の風習が一緒になりました。
「上巳」(じょうし)は、 3月の初めの巳の日をいいます。

この日、水辺に出て穢れを祓うための禊(みそぎ)を行い、
お食事会を催してお祝いをしました。
中国でのこの行事のいわれは、けがれを祓い清める意味合いが強かったようですが、
それが日本独特の祓(はらえ)の思想と結びつきました。

祓(はらえ)の道具として人形(ひとがた)がありました。
古代からの民間信仰として人形(ひとがた)に穢れを移して川や海に流し、
災厄を祓うという風習がありました。
その人形(ひとがた)が、天児(あまがつ)の原型です。

〇雛人形の源流

男女一対にしてまつられる、「雛人形のルーツ」といわれているのが、
「天児(あまがつ)」というお人形です。

あまがつ

天児は、30㎝ほどの竹二本を束ねて胴とし、
さらに別の竹を横に組み合わせて手とし、
絹の丸い頭を付け、目・鼻・口を付けた素朴なお人形です。
その起源は平安時代ともいわれています。

幼児に降りかかる災いや穢(けがれ)を負わせるために
この人形に衣装を着せ、枕元に置きました。
さらに自分の分身として生涯持ち続け、
毎日お供え物をして大切にしたということです。

雛人形は祓(はらえ)の人形、天児(あまがつ)と
「ひいな遊び」のお人形が一緒になったものです。

又、「源氏物語」の中に、
「ひいな遊び」=ままごと遊びをしている風景が登場しています。

この「ひとがた」と「ひいな遊び」が結びついて、
現在の「お雛さま」が生まれました。

川や海に流していた人形(ひとがた)も「雛人形」として造られるようになり、
江戸時代になると、平安時代の宮廷を模した段飾りの雛人形となっていきました。

雛遊びが雛祭りと変化してゆくのは、
江戸幕府が3月3日の節日を「五節句」の一つに定めたことです。

時代と共に3月3日に女の子の幸せと健康を願って人形を飾る
風習がゆきわたってゆきます。

〇桃の節句は五節句のひとつです。

・五節供は「五節句」とも書きます。
江戸幕府が五節句を定めました。

その後明治6年に廃止されましたが、民間行事として今も定着しています。
季節の食べ物をお供えして天地に感謝したり、邪気を払う日とされています。

・人日の節句・・・1月7日 
・桃の節句・・・3月3日   
・端午の節句・・・5月5日 
・七夕の節句・・・7月7日
・重陽の節句・・・9月9日 

旧暦の節句4月になると桃の花が咲くこと、
又、桃は邪気を払う魔除けの木であるから桃の節句と言われています。

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雛人形 五月人形は 京都 西陣 たくみ人形

願いのままにかたちをつくる「お誂え専門の京ひな人形工房」です。私たちはおひとりおひとりのお客さまの想いをお聞きしてから、お雛さまをつくり始めます。
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